神さまの存在についての仮説(その1)

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前回、神さまの存在について、2つほど仮説を立ててみました。

 

そのうちの一つについて考えていきましょう。

 

神さまは宇宙を、地球を、人を創った存在である。

だから基本的な寿命も、この世に生まれた意味を持たせている。

でも(だから?)、神さまは単に、人を助ける存在ではない。

ましてや、そうした存在を救うほど、やさしい存在ではない。

 

多くの方の信仰の対象となっている神さまですが、

ここで仮説として言いたいのは、

 

「神さまは恵みや創造を与える存在ではあるが、本来、人(のみ)を救うための存在ではない」

 

ということです。

 

「神さまが人を救う存在である」というのは、あくまで、人がそう思いたい、という抽象的な願望にすぎないのです。

 

神さまは、あらゆるものを創り、与えてくれる存在ではあるが、それを救いとするかどうかは、それを与えられる人次第であるということ。

 

少し、むずかしくなってきたので、もう少しそもそも論で考えてみましょう。

 

神さまとは、あらためてどんな存在なのでしょう。

 

私たちは、「神さま」という存在を考えるとき、さまざまなイメージを混在してとらえているように思います。おそらくこれがそもそもの話をややこしています。

 

1つは、宗教の中で一般にいう神さま。神さまは1つ、言えば偶像崇拝の対象のようなもので、仏さま、イエス・キリスト、などのようなもの。

宗教により異なるかもしれませんが、世界で神さまはただ一つ。その存在は絶対です。

 

2つ目は、自然現象を人格化?神格化?したもの。太陽も、月も、水も、土も、世の中のただならぬもの、もたらされるもの。それは神であり、日本神話の世界の神さまはきっとそれに由来すると言われます。ただならぬという観点では、動物もすごい天才がかった人物も、感謝、崇拝の対象となれば、それはもう神さまということなのでしょう。

 

そして、3つ目は、時空を超えた存在。たとえば、現在の肉体と精神、魂が出会う前、出逢った後も、そうした魂の世界をつかさどる存在。それもある意味、神さまの世界として扱われているのです。

 

この時点で、神さまという存在はとてもあやしく、わかりにくくなってしまいます。

  

わたしたちは、神さま、という存在を考えるとき、この3つを混在して考えてはなかなか頭が混乱してしまいます。

 

ですので、ここからは、この1つ1つについて考えてみたいと思います。

 

 

ちなみに・・・世の中には諸説ありますが、今回の記述に近いものとして、「日本人にとって神(カミ)とは(橋爪 大三郎氏:社会学者,東京工業大学名誉教授)」があります。興味のある方は、ぜひ参照してみてください。

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