世間は神さまをどのようにとらえているか(その2)

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神さまとはなにか?

本来なら、さっさと今思い至っていることをつらつらと書けばいいのでしょうけれど、ここではもう少しもったいぶってみることにしたいと思います。

というか、前回の内容があまりにむずかしく書きすぎたかなぁ、と思ったりしまして。

 

でも、本当に”神さま”的な話はたくあんあるんですよ。

ご神木とかご神体とか、スピリチュアルなスポットとしてさまざまな本に紹介されているし、それは神さまっぽい存在として書かれていますし。。。

日本では、神さま=神社?となるし、御朱印ブームもあって、神社とお寺の違いもわからないっていう方もいるでしょう。

いやぁ、お寺は宗教だし、神社は神さまだし、って言われても、神社の敷地内(厳密には宗教法人としてことなるので、区域は分けられているのですが)にお寺があったり、そのまた逆のような場所もあるわけで。

神社と言えば、日本神話の中に言われている神さまが祀られていますし、天照大神が天皇陛下のご先祖だと言われていますが、その他の神社とのかかわり、その他の神社の存在、そこに祀られている神さまと天皇陛下の関係はどのようなものだと考えてみたり・・・。

世界で言えば、本当にたくさんの宗教があって、前回触れたようにそれぞれに神さま(多神教もあれば一神教もある)がいるし、

現実世実で生きる、死ぬという話に関しては、一時期流行った(今も確実にある)スピリチュアルな世界では、この世以外の世界がでてきたり、神さまっぽい世界観があったりします。

 

もう、疑問がいっぱいなんです。。。

 

で、とりあえずこの研究所では、”神さま”について今までの成果?として、

1.宇宙の中の、地球上の、(人の世の中の)絶対的真実、絶大なる力としての神さま、

2.現実的なこの世を生きる人とその人生の目的、起こる出来事の理由を説明する上での真理としての神さま、もしくは神さまの世界、

3.人の霊(この世の肉体を失った人の状態?)が来た場所、もしくは帰る場所としての神さまの世界

の3つに分けて考えられるのではないかな、それが神さまの存在や世界を考えるうえでの手掛かりになるのではないかな、と思っている次第です。

 

そう考えた時に、ふと思ったのです。

先人がいるではないか!

 

そう、宗教が生まれる過程で、実は多くの先人たちが、”神さま”についての疑問を理論づけているのです。

 

ですが、1つ問題が。。。

それは、宗教が人に教えとして流布するために、もっと言えば多くの人の賛同と称賛、尊敬を集めるために、みなが納得するための理屈をつくっていたのではないか、ムリクリ体系づけているのではないか、触れれば触れるほど、そう思えてならない部分が少しずつ見えてしまうような気がするのです。

 

なので、まずは先人たちが宗教の中で、”神さま”をどのような存在と位置付けてきたか、その宗教の生い立ちとともに学び、考えてみたいと思います。

知ってみると、それはそれで、なんらかのヒントがあるはずです。

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