世間は神さまをどのようにとらえているか?

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神さまの存在を1つ1つ考えていく、というその前に世間が”神さま”という存在をどのようにとらえているか、ということを整理していきたいと思います。

そして、このサイトの性質も明らかにしておく必要があると思います。

神さま、と一口に言っても、世間ではさまざまなとらえ方があるようです。

そもそも、”神さま”という存在がある、という前提で神の世界を考えることを神学と言い、その存在があるかないかの検討を含めて、人間の生や行動、思想とのかかわりを考えることを宗教哲学と言うらしい。

ちなみに、「コトバンク」で”神”を調べると実にさまざまな分類、意味、とらえ方が紹介されています。

それは、神という存在をなかなか説明しつくせていないということ。

そういう意味では、神とは実に不思議な存在と言えますが、そうした解説をみていくと、「人の存在や知恵を超える存在」、「宗教」、「信仰の対象」という言葉がいずれにも出てくるように思えます。

さらに、その中にでてくる「宗教」を同様に「コトバンク」で調べてみると、これまた沢山の表現が出てきますが、「信仰の対象としての神」という言葉に行きつきます。

宗教の中では、「自然現象としての神」は説明のつかない事象、もしくは、これをつかさどる存在とされているのであり、「人柱的な意味合い」としては、人間であるが、おおよそ通常の人間の存在や知恵を超越していると思われる存在を神格化したものとして扱われているようです。。

また、宗教の教義のなかでは、人の生と死に関連して神の世界が登場し、神が時空の存在を超えた存在であるかのような記述も多数見られます。

少し前にブームとなったスピリチュアル的な世界では、前世、この世、来世という、確かであるかどうか確認しづらい、が、時空を超えたつながりの世界があるというニュアンスで会話が行われます。

ただ、いずれも気になるのは、これらが人の世、人の生を中心に描かれたものであり、その見えないものを”神”と呼んでいることでしょう。

言い換えれば、今生きている人を中心に、超越した世界を神の世界、超越した時空も神の世界、そうしたことから見出した人の生きる道を悟った人を神に近い人もしくは神、と呼んでいるようです。

たしかに、この世に生きている身としてはそう考えるしかないのでしょうが、これは解釈を間違えれば、神の世界を体系化した人、もしくは”見える人”は、それ以外の人をコントロールする力をもつことにつながります。

誤解を承知で言えば、実際、神の世界、もしくは神の世界と人の生きる道に帰着させて言及し、それを政治に利用し、宗教は存在してきました。人同士が、その中に信仰する神の違い、とらえ方の違い、解釈の違い、考え方の違いを巡り、存亡をかけた争いをしてきたのが、今の世の中なのです。

イスラム教、ユダヤ教、イスラム教のの聖地、エルサレムを巡る争いなど、非常にばかげた話ですし、仏教の宗派間の争いなど、そこに神さまがいたら泣いてしまうだろうと思えるほどです。

神さまとは、それほどまでに不思議な存在であり、精神的な拠り所となりえるものであり、人間の存在の原点ともみなされているからなのでしょう。

このサイトは決して、今あげたどの宗教をバカにするものでも、否定するものでもありません。

教えを作り上げることを目的とはしていませんし、生きる道の指針をつくることも目的としていません。。

ただ、神の世界を、否定をするものでも、必要以上に肯定するものでもなく、その存在や世界を仮説をたてながら純粋に考えてみたいだけです。

もし、こんなことに付き合っていただける方がいるのであれば、ぜひそこから自分自身の神さま、人生観を一緒に考えていただければ、とてもうれしく思います。

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